正月早々
久々のBRAIN 通信、お待たせしました。みなさまいかがお過ごしのことでしょう。あっという間に正月も過ぎ、受験も過ぎ、気が付いてみると、新年度に突入していました。
老体に
毎年のことではありますが、冬期講座は教師にとってはきついものです。特に老体になっている今、足腰の衰えはもちろんのこと、目の衰えが激しく、字がまともに読めないのです。しかも、数学は小さい数字が多い。
命に対する不安も多くなる。「○○さんが脳梗塞で倒れた」「○○さんが心筋梗塞で倒れた」などの話題が増え、私たちの親世代の人たちも亡くなっていく。うちのばあちゃんも入院生活で、真剣に介護のことを考えるような日が多くなる。
ぷち鬱
そのうちだんだん外に出るのも嫌になり、単身赴任の私がこもっている第二教室(別名社長室、貴賓室とも言います)に閉じこもる日々。風邪をひきやすくなり、医者に行くと「それもしかしたら、ぷち鬱じゃない? 中原さんでもあるのかー」などと失礼なことを言われる始末。
この医者はとにかく失礼な医者で、人生で初めて胃が痛くて診てもらったとき、食欲がないと言ったところ「中原さんは2・3ヶ月は何にも食べなくても平気ですよ、はははー」とか言う医者で、その数年前は「ペンライト事件」というきょーれつな事件も起こした医者ですが、私の名誉を守るために内容は語れません。
聞きたい方は、私を飲み屋に誘ってべろんべろんにしてくれればカミングアウトすると思いますので、どんどん飲み屋に誘ってください。
自宅に帰ったお正月
そんなわけでめちゃくちゃ疲れて大晦日特訓を終え、社長室の布団の中で知らぬ間に正月になり、元日は一日中社長室の布団の中にいたかったのですがそうも行きません。自宅に帰らねばどんな文句を言われるかわかりません。
午後1時ごろ社長室を出で、いやいや自宅に戻るわけで、寄り道したり、休憩したりで数時間かけて到着。どうせ妻からは罵声飛び交うことはわかりきっていましたので、作戦としてはとにかく酒を飲む。「ガンガン飲んで、意識を失ってやろう作戦」を立てて自宅に入りました。
ちょうど義姉夫婦が正月の挨拶に来ていたもので、一緒になって最初からハイペースで、正月に帰ってくるであろう私のために息子が買ってきてくれていた(なんて優しい息子なのだろう(泣))大好物のズブロッカというポーランドのウォッカをガンガン飲み、軽く1時間で作戦は成功だったのです。
姉夫婦が帰ってから、妻に何を言われたか、何と罵倒されたのか、如何に暴行されたのかはまったく記憶にありません。
便器を破壊するの巻
そうして午後8時に事件が起こったのです。便器を破壊してしまったのです。
息子の話によると、居間で飲んでいた私が、トイレに行ったそうです。するとその直後、居間の外から聞こえるとんでもない轟音!! 大砲の弾による爆撃で建物が破壊されたような轟音だったらしいのです。逃げ惑う家族。いっせいに居間を出た家族はわけもわからず右往左往。そのうち私の入ったトイレで異常が起こったということに気づいたらしいのです。
「パパ大丈夫?」と家人たちの呼びかけに対してトイレ内から、なんと私のけらけら笑う声が聞こえたと言うことです。呼びかけに対して、トイレ内の私は一人大爆笑をしているらしいのです。
私を無理矢理トイレから引きずり出した家人たちがトイレの中に見たものは、根元が破壊された便器と、タンクからこれでもかと溢れ出る水だったそうです。息子は水道の元栓を閉めたり、雑巾で溢れた水(まさか汚水もあったりして)を一生懸命拭いて大活躍だったようです。
意識を取り戻す
一方私は、またまた居間で笑いながら酒を飲んでいたという話です。もちろん妻からは罵声と暴行の嵐だったでしょうが、酔っぱらっている私はまったく覚えがありません。
というより、どうすればあの頑丈な便器を破壊することが出来たのでしょうか。常識的には壊すのは便座ではないでしょうか。まあ、便座を壊すのも常識的ではないとは思いますが…。便座は傷一つないのです。いったいどうやって便器の根元を破壊できたのでしょう。
もし100kg近い私の体重による爆発的な力がかかり便器が破壊されたとしても、私の身体にも相当な負荷がかかり、どこかに異常があってもよさそうなものですが、まったく異常がありません。痛いところもありません。ただ、右手小指にちょっと切り傷がある程度で、これは破壊した便器の欠片に指を突いたからであろうと推測されます。
酔っぱらって能天気になっている私は、その後も酒を飲み続けへらへらしていたそうです。夜中1時ごろわれに返った私は、やはり居間で酒をひとりで飲んでいたのです。酒のペースが落ちたので、徐々に酔いが解消されていった模様です。
トイレに入ろうとすると、上の方から「入るなー」という息子の叫び声が聞こえます。よくわからずトイレに入ると、なんと便器が破壊されているではないですか!!
自宅逃亡作戦
息子には「パパが破壊したんじゃないか」と責められてしまいました。まずいと思った私は、目覚ましを朝6時にかけて布団にもぐりこみます。目覚ましと同時に逃げるように自宅を後にしました。
もちろん夜になると妻から「トイレ代払ってもらうからね」と通達の電話がありました。「ついでに壁紙も新しいのに替えてもらうから」とお達しが…。後日「トイレ、壁紙一式 16万円」という請求書がメールで届き、アルバイトを本気で考えたものです。
息子、群馬に入院するの巻
日にちがたち、トイレ事件を忘れていた頃、妻から「息子が入院した。群馬県で…」という連絡があったのです。
聞くところによれば群馬県にある某大学に通っていた息子は、大学で激しい胃痛に見舞われ、そのまま救急車で群馬県館林市の病院に運ばれたとのこと。夕方運ばれたのですが、連絡を受けたのは夜の9時。息子の入院にも亭主はどうでもいい家庭でして…。
いつもゴミ、カスのように扱われていた私は、息子が心配なことはもちろんですが、また何もしないと妻に罵倒されると思い、せっせと群馬県まで通ったわけです。通うといってもそこは利根川を越えた群馬県です。高速を使うと往復3000円もかかるのです。その上妻は、着替えを八王子まで取りに来いと言う始末。そんなに私も暇ではない。
三鷹までもってこいと言うと、「じゃあ、そこらへんで買って持って行って」というお話です。パジャマや替えの下着などを買い込み、と言っても結構なお値段します。便器代を払った上、この支出は信じられないほど痛いものです。
高速は諦め、片道3時間、往復で6時間の一般道を選ぶしかなかったのです。朝の9時に出て、BRAIN へギリギリに戻ってくる毎日は続く。
ご苦労さん会の巻
息子も何とか1週間程度で退院し、もうへろへろを越えた状態で受験に突入しました。それにしてもみんな受験生は頑張りました。6年生の保護者の皆様とは、ご苦労さん会まで開き健闘をたたえあいました。
帰りはへろへろに酔っ払い、三鷹駅から社長室まで自転車で40分かかったようです。その間に歩道の植え込みに数回頭から突っ込んだような気がします。その晩は近所に勉強を教えに行くことになっていたのですが記憶がありません。
社長室の残骸
翌朝起きてみると社長室には、鍋の残骸と4人分のとり皿、箸があったのです。いったいどうなっているのか? 誰かと鍋をやったのは事実のようです。しかしその相手すらわからず、何を食ったかもわかりません。まったく覚えていないのです。
後日、勉強を教えに行くことになっていた生徒から、恐る恐るあの晩のことを聞いてみたところ、酔っぱらった私が登場して、教えたことは教えたらしいのですが、陽気なおっさんがろれつも回らず、何を言っているかわけわからなかったと言うことでした。その私の姿は大爆笑だったそうです。面目ない。まったくとんでもありません。
頑張りました、受験生
そんな私を尻目に受験生諸君は頑張ってくれました。受験結果は後ほどお目にかけますので宜しくお願いします。
今思えば、受験生たちのマイナス要素をすべて私が吸い取った1月だったのではないでしょうか。そう思うことにしています。こんな真面目な私でも、たまには羽目をはずすこともあるというお話でした。
ただ、いまだ、どうして便器が破壊されたかは謎です。
BRAIN TRUST INFORMATION No.127