安曇野のお気に入り

つい先日まで暑い思いをしてきたのに、もう秋も終わりそうです。皆さんいかがお過ごしのことでしょう。この休みにNHKの朝の連ドラ「おひさま」で有名になった安曇野に出かけてまいりました。

安曇野

もともと安曇野は「わさび田」「道祖神」で有名で、しかもこの三鷹から3時間もあればいけるところで、私にとっては馴染み深いものがありました。大王わさび農場の「わさびソフトクリーム」や「わさびコロッケ」。街中には穂高神社もあります。

古代、北九州の民族が日本海を流れて安曇族として今の安曇野に入ったという説を小説に取り入れたのが松本清張でした。そして、その安曇族を見守っているのが穂高神社とも言われています。いろいろ安曇野は面白いところなのですが、その中の私の一番のお気に入りは「碌山美術館」です。

碌山

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、明治期の安曇野出身の彫刻家荻原守衛の号が「碌山」です。1879年(明治12年)安曇野に生まれた碌山は17歳のとき、相馬黒光(こっこう)に出会う。黒光は、郷里の先輩相馬愛蔵の妻で碌山の3歳年上の女性。碌山は東京の女学校で学んだ黒光から、あらゆる知識の芸術を授けられ、洋画家になろうと決意する。

22歳でニューヨークに単身渡り、アルバイトをしながら美学校で西洋画の基礎を学ぶ。2年後、ニューヨークからパリに訪れた碌山は、近代彫刻の父ロダンの「考える人」(上野の西洋美術館にあります)を見て彫刻家を志す。

29歳で帰国し、東京新宿にアトリエを構え彫刻家として活動を始める。そこで再会したのが黒光。彼女は夫と共に上京し新宿にパン屋を開業していた。それが現在の新宿中村屋である。

黒光に恋心を抱く碌山、そんな碌山の心を知りながらも、夫の不倫を憎み苦しんでいることを碌山に告白する黒光。碌山は当時、パリにいた友人高村光太郎宛ての手紙で「我 心に病を得て甚だ重し」と苦しい胸のうちを明かしている。

作品

心の葛藤の中、碌山は作品を作り続ける。

「文覚」。人妻に恋した文覚はその夫を殺害しようとし、誤って愛する人妻を殺してしまう。碌山は、愛する人を殺し、もだえ苦しむ文覚の姿に、抑えがたい黒光への恋の衝動とそれを抑えようとする激しい葛藤を重ね合わせた作品と言われている。

「デスペア」。個人的には最も衝撃を受けた作品です。体を地面に伏せ、顔をうずめた女性。碌山への恋に苦しみながらも現実から逃れられない黒光の絶望感が込められていると言われる。

そして、歴史の教科書、美術の教科書には必ず掲載されている碌山最後の作品「女」

信州大学名誉教授仁科惇氏はこの作品について

「矛盾しているかもしれないが、碌山の希望と絶望が融合した作品である。手を後ろに組んで跪いて立ち上がっているのは一種の絶望感の現れでしょうし、そうは言っても顔は天井に向けられ、この構成全体から、希望といったものが込められている。そういう葛藤を『相克の中の美』が宿っているのではないか。自分の思いを作品に昇華させた」

と評している。

この像を見た黒光は

「胸はしめつけられて呼吸は止まり・・・自分を支えて立っていることが、出来ませんでした」

と語ったということだ。

そして、明治43年4月22日。中村屋の一室を血で真っ赤に染めて30年の短い生涯を碌山は閉じる。

芸術は愛 相克は美

この言葉は、碌山美術館の本館入り口に書かれた言葉です。黒光に対する愛と苦しみの相克。碌山の作品だけでなく人生すべてがこの言葉であり、まさに碌山の命とも言える言葉でしょう。

碌山亡き後も、黒光の中村屋は若い芸術家たちが集まる場で「中村屋サロン」と呼ばれていました。碌山美術館には、その中村屋サロンに集う彫刻家たち、あの「智恵子抄」で有名な彫刻家高村光太郎をはじめ、北海道出身の彫刻家中原悌二郎、絵画から碌山の死後彫刻に転じた戸張弧雁ら碌山の友人たちの作品が所蔵されています。その他、作家の会津八一、新劇女優の松井須磨子らも「中村屋サロン」に出入りしていました。

その後は、日本に亡命した外国人のために中村屋の一室は使われます。

中村屋のカリー

亡命外国人で真っ先に浮かぶのはインド独立運動の志士ラス・ビハリ・ボースです。中村屋は彼をかくまい保護し、数年後には黒光の長女俊子がボースと結婚します。そのボースが生み出したものが「中村屋のカリー」」なんです。

作家の故寺山修司がプレイボーイ誌で人生相談欄を担当していたとき、自殺志望の青年からきた葉書に対して

「君は新宿中村屋のカリーを食べたことがあるか? なければ食べてから再度相談しろ」

と返答したという逸話も残っているほど中村屋のカリーは有名であり、このカリーには、抑圧されたインドを救いたいボースの心がこもっているのです。

ロシアの亡命詩人ワシーリー・エロシェンコも中村屋に住まわせます。黒光は彼からロシア語を学ぶようになります。

碌山と鬼才土門拳

話は中村屋の方に行ってしまいましたが、今回の碌山美術館では大きな発見がありました。鬼才土門拳です。写真集「古寺巡礼」で有名な写真家土門拳が、戦前に碌山の作品をフィルムに納めていたのです。

土門拳の写真から溢れ出る力強さ、鬼気迫る迫力。言葉では言い尽くせません。土門拳の故郷、山形県酒田の「土門拳記念館」に行ったほど好きな土門拳、その土門拳が撮った碌山の作品群、碌山の心をえぐり出した写真群は、呼吸が止まるほどの迫力を持った芸術作品でした。

芸術っていいなー

芸術家の持つ力は偉大です。見るもの聴くもの読むものを圧倒する力。

芸術なんて生きる上ではまったく必要ありません。絵画だって見なくたって生きていけます。音楽だって聴かなくても生きていけます。文学だって読まなくても生きていけます。しかし、必要のないものだからこそ、圧倒的な力がなければ、後世に残ることはないのです。

秋ももう終わりです。受験も近づいてきました。しかし、心に潤いがあると勉強も進むものです。あと少し、芸術の秋を楽しんでみましょう。

BRAIN TRUST INFORMATION  No.126

前の記事

帰宅難民

次の記事

正月早々