亡き母の足跡を訪ねて

いやあー、暑いですね~。実は先月末に沖縄・鹿児島・宮崎と周って来ました。
6月末で気温31℃の沖縄に着陸し、機内から出た途端「もわぁ~ん」という暑さ…。そのまま回れ右をして帰りたくなりました。しかし、今の東京はもっと凄まじい暑さのような気がするんですが…。こんな狂った東京の夏、皆様いかがお過ごしでしょうか。

突然ですが、今年は亡くなったおふくろの13回忌なんです。そこで区切りとしておふくろの青春時代の足跡、沖縄・鹿児島・宮崎を歩いてきました~。

戦前の沖縄人

実は私の母親は沖縄人で、戦時中鹿児島に疎開し、戦後は宮崎で生き、そして東京に出て、不幸なことに極悪非道のオヤジと結婚し、以来東京にずっと住んできました。

簡単に書けばこんな経歴ですが、よくよく考えてみれば、戦果の最も激しかった沖縄から、船で脱出し鹿児島に上陸、その後も多くの激しい空襲をかいくぐって生きてきたわけです。

そんな運のいい母親が戦後の「交通戦争」であっけなく死んでしまいました。

熱帯沖縄

沖縄着は昼過ぎ。南国の太陽に直撃を受け暑さの中を歩き回っていると、一瞬にして空は真っ黒、その数秒後には全身ずぶぬれ…。スコールですよスコール。「さすが熱帯」とか思ってるとまたまた驚異的な太陽…。一時間の間に、全身ずぶぬれから、ぱりぱりに乾いてしまうんだからとんでもないところですよ沖縄は…。

この日の収穫は、おふくろが通学していた「天妃小学校」に行き、現在の教頭先生にお会いして、いろいろと話が聞けたことでした。教頭先生は鹿児島のご出身で沖縄の大学で学ばれ沖縄で教員になられたということです。歴史に大変造詣が深い教頭先生に、当時の沖縄のことや那覇大空襲のことなど、さらにはこの小学校の名前「天妃」の由来などを教えていただきました。

とても印象的だったのが、御出身の鹿児島が、江戸初期に琉球を属国化したり、それ以降搾取していたこと、明治時代初期の「琉球処分」などを、生徒たちに教えることが辛いとおっしゃられたことです。教頭先生にとって、「歴史」は過去のものではなく、現在も生きているんです!!

悲劇の対馬丸

そのあと平和記念資料館まで足を伸ばし、疎開船を調べたのですが、やはり疎開船といえば「悲劇の対馬丸」です。

昭和19年8月21日に多くの学童たちの命を乗せ那覇を出航した対馬丸は、翌22日鹿児島県の悪石島の北西10kmの地点を航行中、米潜水艦による魚雷攻撃を受け撃沈、名前が判明した人たちだけでも学童804名を含む1418名の命が奪われていったのです。

母たちはこの対馬丸と数日違いに鹿児島に向かう海軍の駆逐艦で疎開したので間一髪無事でした。しかし、もし、沖縄に残っていたとしても、1ヵ月半後の那覇大空襲で命を失っていたでしょう。間一髪の沖縄脱出でした。

この駆逐艦を調べようとしたんですが、逆に無事に到着したために、軍の機密として記録が残っていないとのこと。これも戦争の闇のひとつです。

鹿児島に

翌日の鹿児島では、母たち家族が終戦を迎えたという山の中の小さな集落に足を運びました。一軒家の庭に建つ小さな掘っ立て小屋、ここで小学生だった母は家族5人で終戦を迎えたんです。感慨深かったですね~。

そのあと、順番は逆になりましたが、母が沖縄から鹿児島に疎開して初めて住んだ「加治木」町に向かいました。

加治木の町に入り役場を訪ねると、そこは学校。なんでも元学校でそこを役場にしたらしいです。丹下健三デザインの超豪華な都庁舎を見てください。都庁なんて、生徒数減で統廃合されている空いた都立高校の校舎に入ればいいんですよ。税金の無駄遣い甚だしい話です。それに引き換え加治木町は素晴らしい。

課長さん

住民課に入ると、以前電話で応対してくれた女性職員の方が出てきてくれました。その電話のときに来訪の理由を伝えると、いろいろ調べてくれたんですよ。電話の美しい声で想像したとおりの美しい方でした。

そして、課長さん。なんと課長さんが町を案内してくれるって言うんです!! 感謝感激!! 課長さんに母の旧住所地まで案内され、その後、図書館、郷土館など町を案内していただきました。圧巻は龍門滝です。本当に美しく迫力がありました。そして、町を一望でき晴れた日には桜島が正面に見える展望台に案内していただき、その美しさに圧倒されているとき、課長さんのつぶやいた言葉が胸を打ちました。

     「人口が増えることはもうないでしょう…。」

私は、次に出る言葉がありませんでした。課長さんはこの町を心から愛していらっしゃる。こんなに美しく、歴史もあり、節度というか品のある町加治木。しかし、人口も減り寂れていく町の現実…。

課長さんの言葉は、この現実をどうすることも出来ない寂しさでいっぱいでした…。

人生なんてさ~

最後の宮崎では、母の高校時代の友人お二人と会い、散々オヤジの悪口を聞きました。空襲から逃げ回って間一髪生き延びたと思えば、極悪非道のオヤジにつかまり散々苦労し、最後はアホな高校中退の16歳二人乗りの原付に当てられて還暦前で死んでしまった母。ちなみにこの16歳は1回線香あげに来ただけです。その親も慰謝料請求されたら法廷で刺し違えるとか言ってくる親です。非常識な子供は非常識な家庭で作り上げられるということがよくわかりました。

やっぱり教育のないヤツ、教育しようとしない家庭はダメ、絶対許せません。こんなクソガキや史上最低のオヤジがのうのうと生きていて、苦労していた母が不幸な死に方なんて、世の中狂っているとしか思えないのですが…。人生なんてわけわかりません。

実力をつけよう

世の中「自分さえよければいい」という人がごまんといます。しかし、今回の旅で出会った、教頭先生や課長さん、女性職員の方、この方たちはみんな一生懸命、人のため、世の中のために働いています。

よく考えれば、会社だって、結局は物やサービスを売って世の中の人々に喜びを与えることが仕事でしょう。それなのに、自分のために金を集めようなんて考えを持つ「アホ」がいるから逮捕されるんです。

でも、自分に実力がないくせに人を幸せにできますか? だからこそ、その実力をつけるためにわれわれは教育を受け、勉強する、いや勉強しないといけないのです。

BRAIN の生徒たちにも、「自分のこと」だけを見ないで、人のため、世の中のために存在できる実力を持った人間になってもらいたいと切に願っています。

BRAIN TRUST INFORMATION  No.91