上官の命令

ゴールデンウィークもあっという間に過ぎ、中高生は新学年になって初の定期試験を迎える時期となりました。皆様いかがお過ごしのことでしょう。生徒たちみんなに可愛がられたリリーも亡くなって丁度1年。墓の前で、一緒に酒を飲みましたよ。

捕虜虐待

それにしても、イラクはひどいものですね。アメリカ兵の捕虜虐待です。人権などあったものではありません。前近代のお話です。強者が弱者を好き勝手にするという、驚くべき事態です。

戦争というものは国の戦いであり、個人の戦いではない。その意味では、捉えた捕虜を虐待するということは、国が捕虜たちを虐待をしているということになる。つまり、上官の命令はどうあれ、全責任を国家が負うべきである。

それを、虐待した当事者とその上官だけに責任を押し付けようとしているのが、ブッシュ大統領のやり方である。戦争を、個人の責任にすりかえるなど最低の国家元首としか言えない。

上官の命令

さらに、最も、腑に落ちない点をお伝えしたい。写真に写った虐待者のアメリカ女性兵とその家族の話である。彼らの主張は「上官の命令だった」の1点に尽きる。

ここで、我々日本人が軍国主義の真っ只中、太平洋戦争で犯したことを思い起こしてみる。「上官の命令」の名の下に、何万、何百万の兵士、民間人を殺しただろうか。その殺戮の様子は、筆舌に尽くしがたい。

南京大虐殺をはじめ、中国、朝鮮、そしてアジアの全地域の人間を殺戮していった。アメリカ兵の捕虜を生体解剖したという話も事実である。敗戦(私は決して終戦とは思わない。まだ、アジアでは戦争の傷跡が多く残っている)を迎え、極東軍事裁判が始まる。

極東軍事裁判の有効性

この裁判については、裁判の有効性は、私はないと断言する。なぜならば、戦争に勝った国が裁判官として、原告である検事として、被告である敗戦国を裁くことができるという論理性がまったくないからだ。

戦争に勝った方が正しく、負けた方が不正であるという、ただのガキの喧嘩と変わらない。勝った国が正しいという論理的検証がまったくなされていないからだ。もし、日本が戦争に勝っていたら(ありえない話ですが)敗戦国アメリカを裁くことになったのだろうか。

この極東軍事裁判の無効を訴えたのは、インドの判事パール氏だけだった。

戦争が犯罪であるというなら、いま朝鮮で戦っている将軍をはじめ、トルーマン、スターリン、李承晩、金日成、毛沢東にいたるまで、戦争犯罪人として裁くべきである。
戦争が犯罪でないというなら、なぜ日本とドイツの指導者のみを裁いたのか。
勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。
力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろう筈がない。
われわれは何よりもまず、この失われた《法の真理》を奪い返さねばならぬ。

ラダ・ビノード・パール  1950年10月 日本にて

軍事裁判による死刑

極東軍事裁判は、国際的にも、高名な学者や、判事・検事を集めた。しかし、この裁判の有効性自体を論じた法律家はパール判事を除いて一人もいなかった。彼等は法律家として不適格であると私は思う。

日本国内だけでなく、外国でも行なわれた有効性がない連合国による軍事裁判において、日本の1000人余の軍人たちは死刑になった。その他に、中国では人民裁判の名の下に約3000人が死刑(私刑=リンチ)、ソビエトでも約3000人が死刑(私刑=リンチ)になったとある資料は語っている。「上官の命令」によって虐殺したり、生体解剖をした軍人、その他がほとんどだった。

「上官の命令」と「良心」

遠藤周作の「海と毒薬」の中で、アメリカ人判事が、「上官の命令」によって生体解剖をした日本人医師に対して「あなたには良心というものはないのですか?」と聞いていた。この小説は実話に基づいている。彼らアメリカ人は「上官の命令」より「良心」を優先して、多くの日本人を有効性のない裁判で死刑にした。

歴史を学ぶということ

私たちは何のために歴史を勉強するのだろう。過去の事実を認識するためなのか? ただ、知識欲を満たすためなのか? 違うでしょう。過去の事実を知ることによって、将来の指針を作り、よりよい平和な社会を作り上げることにあると、私は思っている。

なぜ、私たちは自由、平等を獲得したのか。それは、流血の歴史だったのではないだろうか。尊い人間の血を流すことによって、初めて獲得できたもの、それが自由であり、平等であったはずだ。逆に言えば、自由、平等は初めから与えられたものではない。私たちの使命は、この自由、平等を守り、後世まで伝えることではないだろうか。それを忘れて、当たり前に自由、平等があると今の人類は考えているのではないだろうか。丸山真男の言葉である。

権利の上に安住してあぐらを掻いていると、いつの間にかその権利はその人から消滅する。

私たちには、この認識が足りないのではないか。見たいときにテレビを見て、聞きたいときに音楽を聴いて、寝たくなったら寝る。腹が減ったら飯を食う。それが、当たり前のことだろうか。

生徒たちよ、どう思う? 何のために勉強するの? 成績を上げるため? いい高校入るため? いい大学入るため? 入ってどうなるの? 自分だけが、いい思いをして何になる。周りの人は不幸でいいの?

自分は優秀になっても、不幸な人を助けることができなきゃ、人間としての存在価値がないでしょう。人間はただ、本能、欲望だけで生きているわけではないのだから。もっとも、優秀でなけりゃ、不幸な人など助けることもできないでしょうが。

人の痛みがわかる人間に

今回のイラク兵を虐待したクソ女性兵士は、歴史の勉強をしてなかったのだろう。むかついてるので、ひどいことを言います。このクソ女性兵士はまともに勉強をしてこなかったから、出来が悪く、戦場の最前線に送られたに違いない。「上官の命令」に従った多くの日本人を死刑にした自分の国の過去を知るわけない。アホだからしょうがないか。

では、今回の事件でアメリカは国家として、虐待女性兵士をはじめ関係者に対して「良心がないのですか?」といって、死刑まではいかなくても、罰を負わせるだろうか。この「良心」のない人間たちの処分をどうするかで、アメリカという国がよく分かると思う。私は、初めからアメリカには期待してませんが。

BRAIN の生徒には、人の痛みがわかるやさしい人間になってもらいたいと思います。

BRAIN TRUST INFORMATION  No.64

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