テロ攻撃

夏の酷暑も終わり、あっという間の秋への季節の移り変わりに驚いている今日この頃です。皆様いかがお過ごしでしょうか。

秋の訪れとともに、世の中の移り変わりにもついていけないほどの驚きをもってしまう新世紀の9月。台風被害で日本が右往左往している頃、隣国アメリカでは、想像もつかない事態が起きてしまいました。

驚愕の事態

生徒から帰宅途中の車の中で情報を得たあの晩、映像を見ていなかったもので、アメリカも敵機のテロ攻撃を未然に防ぐことができず、アメリカというよりは、現代では世界の自由主義国の防衛の象徴とも言える国防総省に、敵機が突っ込むなど、アメリカも平和ボケしているだけでなく、巨大な予算を全世界の非難をものともせずにつぎ込んだ、迎撃ミサイルを含んだ防衛システムも、結局はまったく意味がなかったんだ、という認識で帰宅したわけです。

ところが帰宅してテレビを見てみると、敵機ではなく、自国の旅客機が突っ込んでいるではありませんか。驚きを超えた状況でした。なぜ、旅客機が…、ハイジャックされたのか…、どうやって武器を機内に持ち込んだのか…、パイロットが操縦して突っ込んだのか…、犯人は操縦できたのか…、ビルに爆弾を仕掛けておいたのか…、等等、疑問があふれるだけの一晩でした。

日本の報復は?

アメリカは報復するでしょう。ただ、ここに1つ疑問があります。日本人も20数名の人的被害、その他の経済的な大打撃を受けていることは事実です。日本人は、テロを行った組織に対して報復するつもりはないのでしょうか。ここまで同胞の日本人がやられてなぜ国民的運動が起きないか不思議です。

私の個人的な過去を、感情を混ぜて伝えるのは不適切ではありますが、一言言わせてもらいたいと思います。

母の突然の死

私はこのBTIでもよく話しに出しますが、母がおりまして(当たり前ですが)、この母は五年程前に、原付二人乗り(当然違法行為)の16歳の少年たちに当てられ、頭蓋骨骨折、脳硬膜下出血で殺されました。財布も持たずに近所に出た母は、このクソガキどもの暴挙によって生命を奪われたのです。

身分を示すものも持たず、ただポケットに、私の家の電話番号を書いた紙があったことから、私の自宅に通報があり、職場から病院へ直行しました。医者から「この人はあなたの関係者ですか」と見せられた写真は、紛れもなく母の頭に包帯を巻いた姿でした。このときまで、「間違いであってくれ」と祈っていた気持ちはすべて打ち崩され、ただ茫然とするしかなかったことを覚えています。

父、兄弟に連絡したことは覚えていますが、どう伝えたかは覚えていません。16歳のクソガキは、中国残留孤児の子供で、経済的にも貧しく、高校は、入っても中退し、ぶらぶらしていたとのことです。こんな人間によって簡単に命を奪われてしまった母は不幸としかいえないでしょう。

死刑廃止って言えますか?

その後、この少年は、鑑別所に2週間ほど入って出所したのです。彼は、その時点から自由の身なのです。今では、命日にも来ません。補償交渉をして、裁判に持ち込むといえば、その父親は「法廷で刺し違えてやる」と内容証明つきの郵便を送りつけてきました。結局、父の意見で補償交渉もなく、ただの母の死に損でした。

さらに、裁判所からも何も連絡もなく、ただの少年事件として罪の裁きも与えずに放免してしまった裁判所に対する不信感が募るだけの結果となりました。刑事事件にもならず、検察庁にもこの事件は届かなかったわけです。今、自宅に帰っても、父はしょんぼり一人で老後を送っています。

「報復」。いけない部分もあるとは思います。しかし、自分の身内を理由もなしに殺されて「死刑廃止」といえますか。

まったく個人的な話で申し訳ありませんでした。

イスラムだけが悪いのか?

ただ、私は人の痛みをわかってあげたい。知ってもらいたいと思います。イスラムも、今までアメリカに辛い目に合わされていたことも事実です。アメリカの友人の話では、ここまでひどい状況とは思わなかったが、何らかの形でイスラム原理主義者の攻撃があることは、話として広がっていたとのこと。また、先日帰国した、ニューヨーク日本人学校の教師は、なぜ日本の民衆は落ち着いて、のんびり構えてられるのかと、しきりに言っていました。

同感でした。アフガニスタン周辺でもっとも近くにある米軍空軍基地は、日本の立川・横須賀にあることを知っていますか。米軍でアメリカ本土以外で一番多くの巨大な量の武器弾薬を持っているのは、神奈川といっても東京町田のすぐ隣の相模原ということを知っていますか。もし、アメリカが報復攻撃というよりは、宣戦布告をした場合、次に攻撃があるのはこの日本という可能性があることを理解できますか。

国際社会に生きること

日本は国際社会には生きていないと思います。小学生から英語授業を始めても変わりはないでしょう。英語の授業をすることより、国際関係論、宗教論の授業を、さらには、人の痛みをわかるような子供を育てるためのいろいろなこと、例えばごみ1つにしてもそうです。

いまでも、BRAIN の机の中にかんだ鼻紙を放置する生徒がいます。階段にごみを捨てていく生徒もいます。一人で自転車置き場を広く使って平気な生徒もいます。生徒同士で馬鹿にし合ったり、弱いものをいじめることだってあります(本人はそう思っていないようですが)。こういうこと一つ一つを家庭で、学校で、地域社会で、そして日本自体で、当然、BRAIN でも教育することが必要であると思います。

現代の世界情勢は、複雑怪奇です。先進国イギリスでさえ、子供が銃を持って戦っているのが現実です。宗教問題、民族問題を他人事として傍観せずに、自分達の問題として学び、考え、人間全員が、人の痛みを理解することができるような社会を、我々大人が作りあげていかなければいけないんだな、と思う今日この頃です。

BRAIN TRUST INFORMATION  No.36

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